Aurora Lab.





サーカス小屋

Category : Word 10月 14th, 2007

見ることも触ることも出来ないが、そこに感じる事で存在を確認出来る壁で囲まれた街に、とあるサーカス小屋がありました。

そのサーカス小屋は、みんなの生まれるずっとずっと昔に、誰かが「ここから先はわたしのもの」と言って何もない地面に一本の線を引いたとき、いつからあったのか誰も覚えていないキノコのようにいつのまにか立っていましたが、不思議とそのサーカス小屋がそこに存在していることを誰もがあたりまえのことのように受け入れていました。小屋は激しい嵐や火事、地震に何度も遭いましたが、決して崩れることはありませんでした。

サーカス小屋はいつもヒトでいっぱいです。朝から晩まで、みんなずっと小屋にいます。
なかには小屋に居すぎたせいで自分の家の帰り道を忘れたり、友達や家族の顔を思い出せなくなるひともいました。
小屋の中ではたくさんのピエロ達があの手この手を使って、毎年、毎日、朝から晩までみんなを笑わせて、
驚かせて、困らせて、怖がらせて、怒らせて、気持ちよくさせています。
この街では小屋でピエロになることはとても名誉なことなのです。

 

そんなサーカス小屋に雑用係として働いている子供がいました。
その子は子供と言っても身体はもう十分に育っていたし、動物たちとも立派に言葉を交わすことができるようになっていました。

ある日のこと、演し物に使われる動物たちの檻が立ち並ぶサーカス小屋の裏側で、その子はいつものようにピエロたちの衣装や小道具の準備をしていました。
すると突然、顔の横にあった水槽から話かけられました。それは、いつも死んだように動かず、ひげだけをぴくぴくと動かしている年老いた電気ナマズでした。
ナマズは言いました。
「キミもそろそろ舞台に立つ頃だね。わたしの予想はよく当たるんだ。昔から代々もっている僕らの能力なんだから。いままでだってそうやって何人ものキミみたいな子がピエロのなるのを当ててきたもんさ。」
その子は答えます。
「すごいですね。未来のことがわかるなんて。自分の未来が予知出来たらどんなに幸せだろう!」
それを聞いたナマズは得意げに動かしていたヒゲをぴたりと止めプクプクと小さい泡を立てながらいつものように黙ってしまいました。

足下に転がっている小さな檻からカラカラと小さい音が聞こえました。
傾いた回し車で忙しなく走り続けている尻尾の折れたネズミでした。
「キミのようなスゴいやつはめったにいないよ!本当さ。ちぇ、きっと立派になるんだろうな。でもボクも協力するよ!素敵なピエロになれるようにね。そのための近道はとにかく走り続けることさ!」
その子はうれしさと恥ずかしさであたまがぼーっとしてしまいました。なにか言わなくちゃと考えているうちに、昔どこかで聞いた話が思いだされました。
「舞台に立ってみんなに見てもらえたらどんなにうれしいだろう。でも、いちどピエロになるとあのメイクは落とすことが出来なくなっちゃうって。2度と小屋から出ることはないって聞いたんだ」
回し車の音が一瞬ぴたりと止まりましたが、またすぐにカラカラといつもの調子で音を立てはじめました。

隅のほうから低いうなるような音が響いてきました。
それはいつもあたまを抱えているノイローゼのシロクマでした。
シロクマはつぶやくように言いました。
「でもキミはヒトなんだよ。ヒトに生まれたからにはピエロになって舞台に立つ事を考えなくちゃ。それが一番幸せなことなんだ。ボクだってヒトに生まれていたらそうするさ」
そう言うとまたあたまを抱えて丸くなってしまいました。
その子ははじめて自分はヒトなんだということを考えました。ヒトとここにいる動物たちとは何が違うんだろう。どうして自分はヒトとして生まれてきたんだろう。動物たちはみんなヒトになりたいんだろうか。

「おい!キミ!そんなことで悩んじゃだめだ」あたまの上から声が聞こえました。それは足を使って檻に逆さまにぶら下がっている物まねの上手いサルでした。
サルは舞台で一番人気のピエロの声をまねて言いました。
「オレなんか動物の中じゃ一番ヒトに近いって話だし、どんなヒトだって簡単にマネることができるけどさ、でもやっぱり動物なんだよ。おれはこうしてオリのなか。その点キミはヒトなんだ。オレなんかよりよっぽどマシさ。これじゃ好きな子に会いにも行けやしない」
その子はサルのことがかわいそうになり、そこにいる全部の動物たちのことが気の毒になりました。

体中に引っ掻き傷のある雌ネコが伸びをしながら言いました。
「アタシあなたみたいなヒト好きよ」
そう言うと眠たげに大きなあくびをしました。ニャーオ

 

そこへ1人のピエロが慌てたように駈けてきました。
「大変だ!大変だ!いま舞台に出ていたピエロが自分に火をつけてお客をおどろかそうとしたんだけど、そのまま火だるまになって丸コゲ!お陀仏しちまった!お客さんはもう騒いじゃって大変なんだよ。
おい、キミ!代わりに舞台へ出て何かやってくれよ、何か出来るものあるんだろう?そこらの動物を全部使ってもいいからさ、とにかくなんとか頼むよ!」

その子は悩む間もなく慌ててメイクを始めました。
目には世界中の悲しみを集めたほど大きな涙を、くちにはどんなヒトもうれしくなるような大きな笑顔を。
「きっと大丈夫」動物たちがさっき言ってくれたことを思い出しながら舞台に飛び出しました。

会場はいろんな物や大声が飛び交い騒然となっていました。舞台には丸コゲの肉の塊が引きずられていくところでした。ズルズルと運ばれて行くあとには血と脂と炭ががべったりと残っています。
その子はとたんに怖くなり、身体がガタガタと震え、力が抜けていくのを止めることができませんでした。

観客がしだいにその新しいピエロに気づきはじめ、静かになっていきました。この新人ピエロがいったいどんな芸を見せてくれるのかと待ちわびています。

ピエロは怖くて怖くてしかたありませんでしたが、きっとできる。うまくいくはずだと強く自分に言い聞かせました。
少し遅れて動物たちがいろいろな小道具と一緒に用意されました。ピエロはさっきよりもずっと安心した気持ちになり、動物たちに一緒に協力して盛り上げてほしいと小さい声でお願いしました。そして今度は大きな声を精一杯張り上げて言いました。
「さて、ご来場のみなさん!これからご覧頂くのは私の友人たちによるとっておきの芸でございます!」

 

でも、
ナマズはじっと動かず、セットの電球装置は暗いままでした。
ネズミは小さく震えて、舞台から逃げようと彷徨っていました。
白クマは頭を抱えて、ぶつぶつとひとりごとを言っていました。
サルはピエロの足にしがみついて、客を罵っていました。
ネコは甘い声を出して、客席にいた毛並みのいい雄猫にすり寄っていました。

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